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No.12


日本食のすすめ

豆考
肉、魚、卵などが御法度の寺院では精進料理を食します。その中で貴重なタンパク源として豆料理が発達しました。特に室町時代以降の禅宗寺院において豆、とりわけ大豆料理が極められ、在家の家庭にも波及していきます。春夏秋冬、季節の彩りに重きを置き、ご飯と合わせての献立は、節分には黄大豆ご飯、初夏は青豆(グリーンピース)ご飯、卯の花ご飯、秋には黒豆ご飯。このように三色の大豆使うのは精進料理ならではです。

豆の歴史は古く、縄文晩期、米とほぼ同時期に中国東北地区から入ってきました。ドングリやイモを主体とした食生活であった縄文人にとって、米の到来は僥倖でした。しかし、味も良く調理も簡単な米に比べ、豆は軟らかく煮上げるのに大変な手間と時間を要します。縄文・弥生の素焼き土器では無理なので、いわゆる豆打(ずだ)という石皿で大豆を叩き潰してから煮る方法がとられました。古代人はこの煮豆を木の葉等に盛り、塩をまぶして食しました。豆打が語源ともいわれるジンタ味噌の原型です。このように大豆は様々に加工され、味噌、醤油、納豆などの発酵食品にも発展しました。縄文人は大豆と悪戦苦闘はしましたが、今日まで続く日本の伝統食の基礎を創ったことになります。

デンプンが中心の米、良質な植物性タンパク質と脂肪分も豊富な大豆。この日本食の二大巨頭は、現代ではどうでしょう。どうにか主食の座を守っている米に対して、タンパク源は肉などの動物性のものに譲ってしまって、大豆は発酵食品を除き、とんと食卓に上らなくなりました。米と共に日本民族の血肉の根幹をなし、旬の食文化を担っていた偉大な功労者。さあ、もう一度、季節の豆料理を楽しんでみませんか。
(大石)