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No.20


春が来た W杯せまる

春が来た Spring Has Come. . .

東京国際マラソン
ワイナイナ(コニカ)自己新記録で優勝
二月一〇日、国立競技場を発着とする東京国際マラソンが行われた。正午近くには雪が舞う寒さの中でのスタート。コニカのエリック・ワイナイナ選手が二時間八分四三秒の自己新記録で優勝した。
中間点を折り返した一六人の先頭集団は、徐々にばらけ始め、スペインのフズダド、レイ、中国電力の森政、韓国の白との五人に絞られた。三〇H過ぎからはフズダドとのマッチレースになり、三八H付近の上り坂で一気にフズダドを引き離してゴール。二位から四位まではスペイン勢が占め、五位に日本人トップの間野敏男選手(八番麺屋)が入った。ケニア出身のワイナイナは寒さが苦手。毛糸帽とアームウォーマーで万全を期した。「マイペースを守れば二時間一〇分を切れるはず。勝負所の上りで身体が軽く感じ、いけると思った」来日してから間もなく九年。コニカで練習をしながら、オリンピックで銀・銅のメダルを獲得。その実力と勝負強さは実証済みだが、念願の一〇分突破で、金メダルへの期待も現実味を帯びて来た。


おめでとう我が友ワイさん
スタート二時間前、一二H地点となる三田の第一京浜沿いに待機した。曇り空に小雪が舞い、風が冷たさを増してきた。ワイさんは寒いのが苦手だ。記録を狙うには最悪の条件になってしまった。ラジオの実況を聞き、選手達を待つ。やがて中継車の陰から先頭集団が見えてきた。彼の姿を確認したが、声を掛ける間もなく過ぎ去った。想像を遥かに越えたスピードだ。その後は、実況だけが頼りだった。名前が殆どアナウンスされない。心配は募るばかりだった。二八H地点、先頭集団が近づいてきた。二番手につけている。「ワイさん!ワイさん頑張れ」絶叫していた。彼は振り向いて微笑んだ。余裕があったのだ。念願の二時間一〇分を切って優勝。スピードレースにも対応できることを証明した。何より優れているのは、どの様な条件の中でも、走りに集中できる強靱な精神力だ。優しい素顔からは想像も出来ない、最強のランナーだ。(伊)

W杯迫る
W杯の長い歴史の中でも二カ国共同開催は初めてのことだ
近くて遠い国と言われてきた両国に融雪を見たい


昨年の歴史教科書問題や首相の靖国参拝は、日本に対して「反省しない国」という評価を招いてしまったが、どうやら大会を目前に控え、改善されつつある様だ。特にアートやポップカルチャーにおける双方向の動きが活発となり、映画や音楽をはじめ数多くのプロジェクトが進行している。若い世代の認識も、かつての対決型から並列型になりつつある。未だに徴兵制度がスポーツ文化の発展を阻んでいるのは事実だが、Jリーグでは二一人もの韓国人選手が活躍している。しかし、歴史問題における対日感情は今だ改善されているわけではない。この合同開催は、多くの意味で試金石となるだろう。そして、ソルトレークのように、平和の祭典を、大国の国威掲揚の場に摺り替えてはならないのだ。

大国のエゴ
ソルトレーク冬季オリンピック閉幕

「国際平和と協調を祝う好機」ブッシュ大統領のスピーチで開幕したオリンピックは、約一万五〇〇〇人の兵士や約六〇機の武装ヘリが警戒にあたり、史上最大の厳戒態勢の中で始まった。平和の祭典を力で護る、いかにもアメリカらしい・・・
冬季オリンピックが閉幕した。七年前の招致の時点から問題の多い大会だった。カナダのケベックをはじめとする有力都市を破っての決定だったが、委員への不正が明るみに出て、大スキャンダルへと発展した。また、同時多発テロの報復として戦争を正当化するブッシュ大統領の政策も絡み、警備上不安を隠し切れない大会でもあった。幸いテロは発生しなかったが、競技での審判、判定の不透明さは前代未聞の破廉恥な国際問題にまで発展している。ジャッジに信頼性が無いのは悲しむべき事たが、選手にとっては人生をも狂わせてしまう。ショートトラックで金メダルと思われた韓国選手の指導陣は、納得のいかない理不尽な判定に、競技がやっと国際的に認知され始めた矢先に、これでは人気が失墜してしまう、とコメントした。誰が見ても公平な審判のシステムを確立する事は、今の科学に於いて、さほど困難な問題とは思えないが、大国のエゴをここまで許諾してしまうオリンピックは、その存在の意味すら失っている。判定が明らかに間違っていても、抗議すら出来ない多くの国がある事を思うとき、今一度、九月一一日のあの悲劇を考える必要があるだろう。

フェアープレー賞に輝いた日本人
国際パラリンピック委員会【ソルトレークシティー一七日共同】

ソルトレークシティー冬季バラリンピックは一六日に閉幕した。そのクラス分け判定で、障害の程度が軽いとして出場資格を失った兵後正剛さん四○歳三重県が、国際パラリンピック委員会IPCのフェアプレー賞を受賞した。
一七日当地で行われた日本選手団の解団式で発表された。兵後さんは、視覚障害のアルペンスキー競技にエントリーしていたが、大会前の検査では規定以上の視力があると判定された。出場資格は失ったが、大会では裏方として日本選手団を支えた。IPCのクラス分け委員会は、検査を受けた際の正直さと、その後の日本選手団スタッフとしての尽力を称賛した。兵後さんには同賞の楯(たて)が贈られた。兵後さんは「意外な話で驚いた。判定はルールですから、自分に異存はまったくない。クラス分け委員会の方々の心遣いに感謝したい」と話した。